今日は、電話機や蓄音機などの数々の発明品を世に送り出し、今の私たちの生活の礎ともなっている発明家トーマス・エジソンのある1つのエピソードについてお話をします。
エジソンが67歳の時のエピソードです。当時のアメリカでの寿命は60歳程だったので、67歳というとだいぶ高齢ということが分かると思います。
数々の大発明をしてきたエジソンが、67歳になったとき、とんでもない災難が起きてしまいました。エジソンの研究施設が火事になってしまったのです。これまでの様々な発見した功績の跡形や研究に使う道具や書類は全て焼けてしまいました。研究施設は全焼してしまい、日本円で何十億円もの損害を受けてしまいました。
67歳いう高齢で、自分の人生をかけて築き上げてきた研究施設が火事・・・おそらく普通の人なら、パニックに陥ったり、絶望で目の前が真っ暗となり生きる希望を失ったりしてしまうでしょう。
エジソンは火事に気づいたとき、燃える研究施設を眺めながら、すぐに家族を呼び、こう告げました。
「早く来て!こんなに大きな花火大会はなかなか観ることが出来ないよ!」と。
また、エジソンは火事も後に、次のように考えていたそうです。
「この火事は私に何かを教えてくれている」
「私の、これまでのやり方は間違っていた、だから試作品をぜんぶ燃やしてくれたんだ」
「プラスマイナスゼロ。心機一転。ゼロからもう一度やり直せということだ。」
と、エジソンは逆転の発想でとてもポジティブだったそうです。
火事の後のインタビューでも
「自分はまだ67歳だ。明日から早速ゼロからやり直すつもりだ。今まで以上に、立派な研究施設をつくるのだ。」と、言っていました。
誰しもが落ち込むような場面で、エジソンはさらに闘志をみなぎらせていました。
その火事から1ヶ月後になんと、
エジソンは世界初の蓄音器を世に出す大発明をしてのけたのです。蓄音機とは録音する機械のことです。このときに初めて人類は音を物に記録することができるようになったのです。
エジソンは凄すぎますね。
どんな状況に陥っても、落ち込むことなく、一般常識では考えられない発想で、ポジティブに、心から楽しみ、さらに闘志を燃やし、果敢に挑戦し、成し遂げる。
エジソンは「天才」と一言で語られることが多いが、その裏には、常に前向きでいる発想やメンタル、どんな逆境でも歩み続けようとする強い意志とひたむきな努力があったことは、言うまでもありません。